「思い出を賣る男」@劇団四季自由劇場

 雨が続いて、気温も下降傾向にあり、そろそろ夏も終わりかと思っていたのですが、この日はまた一段と暑くなりました。ツクツクボウシが増えていた蝉時雨にアブラゼミの声が戻ったようです。いつものペースで行けば10分前くらい前に着けるタイミングで家を出たのですが、ちょっとスピードを上げたり、上り坂に来たりすると、身体の内側が熱くなってくるので、ややゆっくりになってしまい、到着はぎりぎり。席に座っても、汗がしばらく止まらず往生しました。

 開演が2時と、通常の昼公演よりも遅めなので、短いのかなと予想はしていましたが、駆け込みでタイムテーブルを見られなかったので、そのあたりがわからないままに公演は始まりました。
 芝居の前に、日下武史が劇団四季創立メンバー代表として登場し、「思い出出を売る男」という作品と作者・加藤道夫について語ります。加藤は日下らが通っていた慶應義塾高等学校の英語教諭で、授業を受けたことはなかったものの劇作家として活動していた加藤を演劇青年の先輩として慕い、劇団四季の結成にあたっても、精神の上でも現実的な活動のしかたについても相談していたそうです。しかし、その年の暮に加藤は自死を遂げてしまいます。
 「思い出を売る男」は生前の1952年に戯曲が発表されているということですが、どこかで上演されたのかどうかはわかりません。劇団四季での初演は1993年。日下とともに加藤の薫陶を受け、生前の加藤とこの作品の主題歌を書く約束をしていたという林光が音楽を手がけています。

 終戦間もない東京都内のガード下です。具体的にどこという話は出ませんが、音楽関係の仕事をしているらしい酔っ払いが通ったり、進駐軍の軍人が現れたり、ダンスホールが近くにあったり、街の女がうろついていたりするのは、おそらく銀座に近いあたりではないかと思われます。勝手に、新橋駅近くの国道15号と山手線・京浜東北線のガードが交差するあたりだと決めて見ていました。歩道がトンネル状になって、しばし周囲と遮断されるからです。
 そういう場所に、主人公の"思い出を売る男"(田邉真也)は立っています。発表された時期からすると戦争が終わって5年以上過ぎていますが、復員兵のような服装です。傍らにハンドオルガンを置き、サキソフォーンを吹いています。看板には「思い出を賣ります。美しい音楽に蘇る幸福の夢。君よ、思い出に生き給へ。思い出は狩の角笛」。劇場へ来ているので、想像はできますが、もしも街角にこんな看板があって、思い出を売っていますと言われても、意味がわからないでしょう。最初に通りかかった二人連れの紳士はまさにその通りの反応をします。
 復員兵姿なのは、男がこの時代の現実に生きていないことを示しているのかもしれません。軍隊時代が美しい思い出ということでもないと思いますが、彼は美しい思い出の中に生きていて、人の心にある美しい思い出を引き出す役割を果たす存在のようです。人が思い出を語り、彼が音楽を奏でると、殺風景な壁に美しい幻想が現れます。「マッチ売りの少女」は自分のためにマッチを擦りますが、彼はマッチの代わりに音楽を使い、自分自身のことは具体的に語りません。

 次にやってくるのは花売り娘(生形理菜)です。親の顔も知らないという彼女はたくましく現実を生きています。酔っ払いに花を売りに行こうとする彼女に、男は危ないからやめなさいと忠告しますが、娘は酔っ払い相手ほど楽に儲かる商売はないと一笑に付し、それが正しいことを実証します。まだ8歳だという彼女は、派手なルージュをつけパーマをかけたきれいなおねえさんたちに憧れています。何も言いませんが、男はこの花売り娘の生き方に胸の痛みを覚えているようです。彼女は男の売り物の"思い出"に興味を示しますが、君にはまだ思い出はないからと男は断ります。10年経って、大人になったらまたおいでと言葉をかけるのは、その時には美しい思い出を必要とするような人生経験を重ねていることになるだろうということでしょう。
 ちょっと脇道。花売り娘を演じるのは小柄なひとですが、セリフでそう言われるまでは8歳とは思えませんでした。現代の話であれば見た目はともかく、言葉遣いから8歳を表現することができなくもないと思いますが、60年前の8歳はそういうわけにはいきません。作者の意図はどうだったのでしょう。子役が演じることを想定していたのか、それとも今回と同じように小柄な女優が演じるものと考えていたのか。発表から60年過ぎた今、大人の女優が演じるなら、8歳ということをもっと早くに明らかにする方がいいのではないかと思いました。

 次にやってくるのは奇妙な格好の男(味方隆司)です。薄い緑色の身体にぴったりした服。頭には駝鳥の羽根。肩からドラムを提げてします。この男も目の前の現実のみに生きていて、まず街の顔役に仁義を通したのかと、現実的な問題をつきつけてきます。気のいい男で、脅しているわけではなく心配して言っています。
 この男もそうとう奇妙ですが、彼としてはもっと奇妙に感じている"思い出を売る"という商売について、あれこれ質問してきて、男は少しだけですが、それに答えます。かれとしては、自分の才能は詩と音楽にあると思っていますが、それを発揮する手段としては、この"思い出を売る"というやり方が最後の藁だということも覚悟しているようです。
 思い出を必要とせず、目の前の現実に幸福な適応をしている男は、現実的な忠告を残して去っていきます。男は彼に対して優越感と同時に、強い敗北を感じているようです。

 今度は街の女(野村玲子)が現れます。彼女には美しい幸福な思い出があります。戦争前。コーラスガールだった彼女とサクソフォーン奏者だった男との恋。家族に祝福された結婚。かわいい娘の誕生。しかし、男は戦争で大陸へ渡って、それっきり。娘をたぶん自分の親に預けて、慰問団に加わり、帰ってみると、家は焼け、家族はどこにもいない。みじめな境遇に身を落とし、ただ生きている。そんな彼女のために、男は"思い出売り"を始めます。彼女は何もない壁の方を見させ、思い出を語らせる。相槌を打ちながら、思い出の曲が「巴里の屋根の下」であることを引き出す。彼女がハミングで歌い、彼がサクソフォーンで吹き始めると、壁に彼女の美しい幸福な思い出が映し出される。「レ・ミゼラブル」の"I Dreamed a Dream"を思わせる場面でした。曲を終えると、彼は即興で詩を書いて彼女に渡します。百円と言っていたのを値引きしようとしたのは自信のなさでしょうか。「元気を出せ」という言葉は、自分自身に向けてもいるようです。

 次は進駐軍の兵士(佐久間仁)。彼は"思い出を売っている"ことなどわかりません。単に手回しオルガンとサクソフォーンだけを見て、曲のリクエストをします。男には多少の英語の心得があるようですが、求められた曲まではわかりません。すると兵士は「金髪のジェニー」を自ら歌い始め、男は後からサクソフォーンで追いかける形になります。すると、先ほどの街の女の時と同じように、壁に兵士が故郷に残してきた恋人(観月さら)が現れます。先ほどと違うのは、彼女が兵士に向かって語りかけてくることです。歌が終わり、彼女の姿は消えますが、兵士の気持の中にはとどまったらしく、百円札を何枚か置くと、口笛で「金髪のジェニー」を吹きながら去っていきます。かれも美しい幸福な思い出を必要としている人間だったのでしょう。

 兵士の去った後に、男も「金髪のジェニー」を吹きます。すると、また思い出を必要としない人物(日下武史)が現れます。何か吹いてくれという男は見るからに乞食ですが、けっこうなお金を持っていて、代金百円で断ったつもりが、あっさりと出してきます。彼もいま現在が幸福で、結婚して家庭を持っていた時期もそれなりに幸福ではあったとは言いますが、思い出すのはまっぴらだと、陽気な音楽を求めてきます。ここで演奏するのは「自由を我らに」で、先ほどの「巴里の屋根の下」と同じ、1931年のルネ・クレール映画の主題曲です。作者の幸福な思い出とつながっているのでしょうか。

 その時、騒ぎが起こります。顔役の黒マスクのジョオ(芝清道)がライバルの男を殺して逃げたのを警察が追っているというのです。騒いでいた連中がいなくなり、巻き添えを嫌った乞食も姿を消した後に、その黒マスクのジョオが現れます。ジョオは男の着ているコートと帽子を奪い、それを着こみます。追っての声がすると、今度はサクソフォーンを取り、「パリの屋根の下」を吹き始め、男に歌うよう命じます。物語と関係ないことですが、マスクを取った男の怪我のためにひきつれた顔はファントムのようです。
 追手の声が遠ざかると、男はジョオに「巴里の屋根の下」に何か思い出があるのではと尋ねますが、ジョオの答は何も覚えていない、でした。戦争中に大陸でひどい怪我をして、気がついた時にはそれ以前の記憶が一切なくなっていたというのです。思い当たることがあり、男はさらに尋ねようとしますが、警察の呼子笛の音に、ジョオは走り去ってしまいます。

 残された男が「巴里の屋根の下」を吹き始めると、壁にジョオと街の女と花売り娘の姿が浮かび上がってきます。幸せそうな3人家族に見えます。しかし、何発の銃声が聞こえて、男が演奏をやめると、その姿は消えてしまいます。男が呆然としている姿に幕が下りてきます。

 ここで終わってしまいましたが、男の演奏する音楽によって、引き裂かれていた家族が再会するという展開を二幕でできないものかと、少し考えました。ただ、この物語には主人公・"思い出を売る男"の深い絶望感がずっと漂っています。詩や歌、美しい思い出は、人が生きる力を生み出す、自分にはそれを引き出すことができる。かれはそう自負していて、それは決して間違いではないのですが、あくまで可能性があるだけです。かれはその限界もはっきりと見せつけられてしまった。かれのそうした絶望がこの物語の根幹であるように感じました。作者が感じていた詩や音楽や演劇の可能性と、戦後の時代の現実におけるその限界への絶望的な思いが現れているのかもしれません。
 アンデルセンの「人魚姫」がディズニーの「リトル・マーメイド」になったような、可能性を大きく観る解釈も成り立たないことはないとは思いますが、ぎりぎりのところにあるがゆえの美しさを導き出せるかというと難しそうです。

 それにしても、日下さんがお元気そうだったのはよかった。登場している時間は短く、穏やかな表現なのですが、舞台上にいると場面の昭和20年代色が濃厚になり、傍からは惨めに見えたとしても幸福・自由を謳歌している乞食のありようが見事でした。

 終わって外へ出ると、まだ3時半。強い陽射しと暑さと折り合いをつけながら自転車で家路につきました。

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