「桜散る 散るもつもるも三春乃一座」@横浜相鉄本多劇場

 うちから北千住まで自転車で行くのと横浜まで自転車のとは大して変わりません。距離では北千住の方が遠いくらいでしょう。何度か行ったこともあるので、天気さえ良ければ自転車を使ってもよかったのですが、この日は雨。まあ、続けて中野へも行くことになっていたので、どのみち電車を使うことになっていたでしょう。
 十分に余裕をみて駅へ行ったつもりでしたが、単に休日ダイヤというだけでなく、本数を減らしているらしく、急行が来るまで駅のホームで十分近く待たされてしまいました。横浜駅には開演十分前には着いたものの、地上へ出るまでが長く、小走りでどうにか間に合いました。

 この芝居は去年も5月の終わりころに、同じ劇場で観ています。去年の観劇記はこちらです。
http://19601106.at.webry.info/201005/article_12.html
 毎年この時期の上演を続けて、今年で十年目にあたるのだそうです。5月末の上演の意味は、昭和20年5月29日に横浜大空襲があったこと、この物語の中核にその大空襲が描かれていることにあります。私は東京都民ですが、下町大空襲は日付もすぐに出てくるのに、山の手空襲の5月25日は曖昧です。横浜となると、大きな空襲があっただろうということは想像できますが、いつ、どのようなものだったのかの知識はありませんでした。

 戦争中で、戦時という意識や空襲の恐怖が常に頭のどこかにあったとしても、多くの人には働いて、ご飯を食べ、あれこれものを考えるという日常の暮らしがあります。東京の大劇場は接収され、東京宝塚劇場では風船爆弾が作られていたということですが、ここ横浜の大衆演劇を上演する芝居小屋は何とか芝居を続けることができています。ただし、上演する芝居については事前に特高の検閲を受けなければなりません。そして、合格した台本の一字一句たりとも変えることは許されません。座長は「極付国定忠治」を上演したいのですが、一座には四人しか残っておらず、できる出し物も限られています。
 その芝居小屋へひとりの男、ひとりの女が逃げ込んできます。ふたりとも自分が特高に追われていると思い込んでいます。もしかしたら、ふたりとも追われているのかもしれないくらいに、どちらにもそれなりの根拠があります。ふたりが大道具の陰に隠れている間に、一座と特高とのやりとりになって、座長の口車に乗った体で、特高たちは帰っていきます。
 座長に声をかけられ、ふたりは出てきます。男は演劇青年、女は女学校の教師であることがわかります。彼自身がどうだったのかはともかく、この時代の演劇青年は社会主義運動と関連しているイメージがあるので、特高に目をつけられるのはわかります。女学校の先生の方は、生徒に書かせた作文で戦死した家族のことを綴ったものを評価したことから問題が起こっていて、反戦の疑いをかけられているようです。
 コンスタンチン・セルゲイウィッチ・スタニスラフスキ・システムに基づいた演出をしたい演劇青年と、「極付国定忠治」をやりたい座長との思いが結びつき、先生を追ってきた女学生も加わって、新劇的「極付国定忠治」の稽古が始まります。検閲を通っていないので、出征する若者を見送るための趣向という名目で早朝に上演しようという方向で話は進みます。演劇青年には召集令状が届くので、嘘というわけでもありません。観客は一座なじみのおばちゃんと、その遠縁で下町か山の手かわかりませんが東京大空襲を生きのびてきた少女です。
 特高の邪魔は入りますが、稽古は進みます。芝居はできあがっていきますが、5月29日になります。あっちへ逃げよう、あそこなら大丈夫だ、むこうはダメだ、叫びながら人びとが逃げまどいます。この場面、去年は光の色や音がもっと空襲を具体的にしていたように思いますが、今年はこちらの想像に委ねられていました。大丈夫と言われていた場所で多くの人が亡くなったことが知られています。

 上演を予定していた日、焼けおちてしまった芝居小屋の前にひとりまたひとりと一座の人々が集まってきます。ケガをしている人はいますが、とにかく生きてはいました。芝居小屋もなくなり、もう芝居を続けることは無理です。座員たちは故郷へ帰ったり、疎開したりで散り散りになります。これが最後の芝居です。出演者が揃ったところで、芝居を始めようという声も出ますが、座長はお客様がみえてからだと押しとどめます。おばちゃんは無傷でしたが、遠縁の少女はひどいやけどを負っていました。それでも、彼女は、東京での空襲で家族を亡くしたショックからか、それまでほとんど何も言わなかった彼女は、お芝居がみたいと主張します。特高がやってきますが、彼らの状況も変わっている。そして、一世一代の芝居が始まります。


 去年、観た時は昭和20年の横浜大空襲の話だったのですが、空襲の場面の表現が変わったこともあって、今年は震災を想起せずにはいられませんでした。ふだんは意識していないことですが、毎日の暮らしの中には様々な危険があって、何かの拍子にその危険が尖鋭化することがある。そして、それがいつ起こるのかはわからない。大地震や津波や原子力発電所のことばかりではありません。交通事故もあります。個人的なことですが、渋谷の爆発事件は私が時々通る道でした。すべて意識していたら神経がもちませんが、ある意味、日常というのは空襲がなかった日、非常時の中の平穏なのかもしれません。
 少女が「お芝居がみたい」というひと言も、震災の後に頭から離れないことです。芝居に限らず、小説もマンガも映画も音楽も、生きるために直接の役に立つわけではありません。辛いことを忘れるための逃避という意味もないではないでしょうが、もっと積極的な意味を見出せるのではないか。楽しい時には気持があれこれ動くのですが、悲しい時やショックを受けた時は慣用句と思っていたのが実は具体的で「気持が沈み」動かなくなるのが自分でわかります。その沈んだ気持をかき回して動くように働きかけるのが、芝居であり小説でありマンガであり音楽なのではないのかなと思います。その効果か、私の隣の若い女性はかなり豪快に泣いていたのでした。



amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 大空襲5月29日―第二次大戦と横浜 (有隣新書 (19)) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル





この記事へのコメント

この記事へのトラックバック