「ペン」@俳優座劇場

 暑い日の昼公演でした。自転車のスピードを上げられず、到着はギリギリ。通路際の席だったのは幸いでした。

 「ペン」は1956年に発表されたフランスの翻訳劇ですが、時代が近くてもロベール・トマとはまるで違う世界です。主人公は高校の文学教師。妻は亡くなっていて、16歳の娘、13歳の息子、義理の母親と一緒に暮らしています。文学趣味があって、20年以上前から仕事の合間に小説を書いていますが、出版社からは相手にされず、自費で本にしています。

 1幕は45分。この高校教師の家に、出版社の男が訪ねてきます。ようやく自分の作品が認められたと喜びますが、タイトル「私の心はまっぱだか」にも赤裸々な内容にも覚えがありません。よくよく話を聞くと、それは娘の書いたものだったのです。親としては自分の娘があからさまに性を描いた作品をと思い、高校の文学教師としては高校生がそんな作品をと思い、作家を目指してきた者としては嫉妬のかたまりになります。さらに、「私の心はまっぱだか」は有望な新人に贈られる文学賞を受賞してしまいます。

 2幕は1時間半。「私の心はまっぱだか」がベストセラーになったことで、家の中の様子が変わっています。家具がきれいになり、電話がひかれ、着ているものも値が張りそう。家事を義母にかわってメイドが務めています。娘は受賞第一作を書くことになっていますが、ちっとも進んでいません。書けない原因は違いますが、取材に来たカメラマンとの恋に夢中になっています。
 作品を生み出すには、実体験とそれを小説にするセンスが必要だという話になりますが、それは娘より父親を刺激して、義母や妙に色っぽいメイドからネタを集め、若い教え子から若者言葉を教わって、何か書こうとします。

 執筆に専念するためという口実で、出版社からの電話に対応する役目は父親に押し付けられています。催促されているのを知って、作家としての嫉妬と自己顕示欲から、父親が自分が書いたものを、娘の原稿と偽って出版社の男に渡してしまいます。しかし、こんなものを書いているようでは、見込みがないとコテンパンに言われてしまいます。このあたりの出版社の男の言動は戯画的です。
 いったん帰った男は、クルマの後部座席で見つけたちう詩の原稿を手に戻ってきます。「天才だ!」「書いたのは誰だ?」と大騒ぎの末、13歳の息子が書いたものであることがわかります。

 出版社の男はすぐにも本にしたいと申し出ますが、姉弟は父の作品を本にすることを条件にします。売れなくても、姉弟の本の売り上げでカバーできるとまで言いきって、原稿を渡します。
 出版社の男から、あなたの作品を本にしたいと持ちかけられ、父親が大喜びというところで幕になります。

 1幕は面白かったです。だれた生活を送っている文学趣味の高校教師のところに、あなたの本を出したいと出版社の男が来る。しかし、よく聞くと自分の原稿ではない。書いたのはだれだ? 実は娘だった。そこから文学賞受賞までが快調なトントン拍子でした。
 しかし、2幕。どうせ売れるはずがない、評価もされるはずがない作品を、本にしてもらえることになって素直に喜んでしまう父親。子どもたちの出した条件は、父親の、親としてのプライドも作家としてのプライドも踏みにじるものです。幕切れにかかる音楽は人情たっぷりのコメディ向きのメロディでしたが、この話はそういうコメディではなく、徹底的にダメ父、ダメ作家、ダメ教師である主人公をドライに笑う、天才姉弟にふりまわされる出版社の男などダメな大人たちをドライに笑いものにするファース(笑劇)なのではないかと思います。
 1幕の2倍の長さというのも、アンバランス。前述の解釈の違いから2幕は全体にギクシャクして見えました。


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