明治座「銀河鉄道999 さよならメーテル~僕の永遠」




 少年画報社の週刊誌「少年キング」に「銀河鉄道999」の連載が始まったのは1977年の初めだった。松本零士は、そこそこ活躍している漫画家ではあったけれども、彼の地位を確立させたのは、この作品だったと思う。
 テレビアニメーション版は翌年くらいから、その後で映画版も作られた。ゴダイゴの主題歌は映画のためのもので明朗に歌われるが、テレビの主題歌はそうではなかった。陰鬱…とまでは言わないが、陰影の濃い歌詞とメロディーだった。




 この舞台はテレビの主題歌のイメージに近い。もっとも、去年上演された物語を踏まえた作りなので、旅立ちは既に過ぎていて、ある程度物語が進んだところから始まる。
 地球を出る時には"機械の身体をもらえる星へ行く"のが鉄郎の目的だったのが、機械の身体(永遠の生命)をもらうことにも、機械の身体をくれる星があることにも懐疑的になっている。

 謎は2つある。
・機械の身体をくれる星があるとして、その目的は何か?
・メーテルとは何者なのか?

 映画は観た覚えがなく、テレビアニメーションはいつの間にか見なくなったけれども、原作は最初から最後まで読んだはずだ。2つの謎の答は曖昧にだが記憶にある。

 今回の舞台版の鉄郎は1つ目の謎の答えには気づいている。機械の身体が欲しかったのは、社会の最下層から脱するには、それしか方法がないからだが、そこに手を差し伸べる者に何も思惑がないはずがない。
 最下層から脱するために、身体を作り変えるのは「笑う男」にも出てきた。17世紀のヨーロッパで実際に行われていたことだそうだ。それは金持ちの慰み事だったが、「銀河鉄道999」では、単なる娯楽とは別の用途があったことが明らかになる。
 そのために、鉄郎は機械帝国との戦いに挑むことになる。彼の味方として、松本零士の別作品の登場人物であるキャプテン・ハーロックとクイーン・エメラルダスも登場する。
 鉄郎は苦境から抜け出そうと行動する少年から、その苦境を作っている存在に対して怒り、状況を変えようと活動する若者へと変わっていく。

 原作の重要なキャラクターとしては、車掌さんと食堂車を切り盛りしているクレア。食堂車は原作の生み出された昭和的で、ビフテキとラーメンが売り物らしい。ある時期までは普通の言い方だったのに、"ビフテキ"は文字で見ても、耳で聞いても、かなり強い違和感がある。鉄郎はステーキを注文していた。
 ガラスのクレアのエピソードは原作では旅の序盤にあったが、この舞台版では終盤に置かれた。

 原作・総監修としてクレジットされている松本零士は、40年以上前のコミックをいま舞台化するにあたって、貧困や社会の最下層からの脱出というテーマを膨らませようと考えたのではないか。「999」より少し前の作品「男おいどん」でも、社会の下層に生きる少年・青年を描いていたけれども、そちらはいたってユーモラスなものだった。

 原作やテレビアニメーションのメーテルに、鉄郎は母(機械帝国の人間狩りで殺された)の面影を見ていた。20年前の舞台版では大浦みずき=メーテルで、謎めいた年上の女性のイメージだった。
 だから、メーテル=木下晴香というのは意外だった。先月まではジュリエットで、先月までは19歳だった、実写版「アラジン」のジャスミンの吹き替えをした、実力は確かなものを持っているとはいえ、若手女優のメーテル?
 期待しているのは従来通りのメーテルの再現ではなく、新たなメーテル像の発見なので、楽しみにしていたところでもある。
 前半は、愁いや哀しみが見えている、その愁いや哀しみの理由は秘めている大人の女性として描き出されていて、若いとは思っていたけれども実年齢が二十歳になったばかりとは思わなかった、
 終盤になって、メーテルは哀しみをはっきりと表現する。その理由も明らかになる。メーテルは大人の女性という一面もあるけれども、同時に"永遠の17歳"でもあった。実年齢が二十歳の彼女だからできた、今までとは違う新鮮なメーテル像だった。

 物語は完結したけれども、鉄郎とメーテルが再会する物語も観たい。


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