「座・SQUARE 第14回公演 ~慕情~」@国立能楽堂

 1時開演のところ、1時間近く遅参してしまいました。この日は女子ワールドカップ・サッカーの決勝が未明から生放送されていました。ずっと観ていたわけではなく、たまたま6時頃に目が覚めて、もう終わっているかなと思いながらテレビをつけたら、ちょうど延長で追いついたところ。そのまま優勝の瞬間まで、ついでに歓喜のインタビューまで観続けるのは、ごく自然なことでしょう。そして朝10時からの再放送。決勝戦のほとんどを観ていないので、これを観るのも、ごく自然な気持の流れだとは思いますが、再放送がインターバルもそのまま放送されるという想定をしなかったのは失敗でした。また、生で観たところまでで、出かけようと思っても、追いついたところで目を離すことなどなかなかできるものではありません。結局、延長もPKも優勝決定の瞬間ももう一度観てしまいました。既に1時近くなっています。

 最初の「勧進帳」は完全に見逃しました。歌舞伎ではなく、能の「安宅」の一場面ということですが、なにしろ観ていないので、観られなくて残念という以上は何も言えることはありません。
 「千手」も途中でした。これは、捕えられた平家の武者と、その世話をする娘との"慕情"の物語。武者は出家を願い出ていましたが叶えられず、鎌倉から都へ送られることになる。つまり、ふたりの永遠の別れが物語の結末になります。前段をわからないまま観ていましたが、"慕情"に"哀切"が加わったところで少し追いついたような感じです。ここで休憩。

 休憩明けは狂言「寝音曲」。主人と太郎冠者ものですが、これは初めて観ました。夜中にたまたま太郎冠者の美声を聞いた主人が、ちゃんと謡を聞きたいと太郎冠者に命じます。好きな時に好きなように謡うのが楽しいので、主人の気まぐれで歌わされてはかなわないと太郎冠者は、いろいろ条件をつけて断ろうとします。しかし、酒を飲まないと謡えないと言ったら、酒を出される。女の膝枕で横にならないと謡えないと言ったら、ありがたくないことに主人の膝枕で横にされてしまいます。横になって謡うと確かにいい声。そして、起こすとなぜか変な声になります。それを何度か繰り返すうちに、太郎冠者は間違えて、起きている時にいい声で謡ってしまいます。最後は主人が太郎冠者を追いまわし、橋掛かりから退場となります。無理難題をいう主人と何とか逃れたい太郎冠者との知恵比べは喜劇の原型でしょう。寝ている時でもいい声というのは、技術も要するようです。

 最後は「昭君」。漢の皇帝から胡国へと送られた昭君という女性。彼女の年老いた両親が娘への"慕情"から、昭君が植えた柳の木を訪ねてきます。もう何十年も前のことで、両親は一度も娘と会うことも手紙のやりとりもできません。生きているのかどうかもわかりません。ただ、柳を植えた時に、この木が枯れたら自分の命も尽きたと思ってほしいと言い残していました。そして、今この木は枯れかかっています。里人から鏡には悲しい人が映ると勧められて老夫婦は柳の木を鏡に映します。すると、別れた時のままの娘の姿が映り、両親への思いを語ります。次いで、娘の夫だった胡国の武将の霊が悪鬼の姿で映ります。鏡で自分の姿を見た悪鬼は、その姿を恥じて立ち去り、鏡の中には娘の美しい姿だけが残ります。

 狂言は素面ですが、能では面をつけているので、声がくぐもって聴こえてきます。狂言の方が物語がリアルなのに対して、能が幻想的なのは、この形式の違いが原因なのでしょうか、それとも結果なのでしょうか。同じ舞台で上演され、共通する技法も多いと思うのですが、狂言はいろいろなものがそぎ落とされている、能は面や衣裳など加えられたものも多く、舞台上にも多くの人がいます。
 橋掛かりから幕も何もない舞台へ登場して始まるのは、特に何とも思わないのですが、終わる時に幕も何もない舞台から橋掛かりを退場していくのは不思議な印象が残ります。狂言では「やるまいぞ、やるまいぞ」と追いかけていくことで、揚げ幕へ退場するまで物語が続いていますが、能では物語がすべて終わってから、しずしずとひとりずつ退場していきます。全員が退場し終えるまで、曲の世界は終わっていないかのようです。
 次がいつになるかはわかりませんが、今度は遅参しないよう、サッカーの決勝がない日に。
 

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