「ジーザス・クライスト・スーパースター ジャポネスク・バージョン」@劇団四季自由劇場

 先月観たエルサレム・バージョンに続いての観劇です。前回の記事はこちら。
http://19601106.at.webry.info/201104/article_6.html
 ジャポネスク・バージョンは40年近く前、中野サンプラザ・ホールのこけら落としとして上演されたのが最初で、その際の不評を受けてエルサレム・バージョンが作られたということです。その後、海外公演でジャポネスク・バージョンが高く評価され、現在は2つのバージョンが生き残っているということのようです。

 エルサレム・バージョンは崖というか急斜面のセットに土の質感がある、言ってみれば具象度の高いセットでした。対してジャポネスク・バージョンではシルエットは同じようなものですが、白い無機的な質感になっています。奥の傾斜が急なところは、後から運び込まれた大八車が立てられます。前方には注連縄をした鳥居のようなものもあります。俳優たちのメイクは白塗りが基本で、中には隈取りのようにしている人もいます。後ろに鏡を立てるとスーパー歌舞伎にも見えそうです。音楽はメロディは同じですが囃子方のような和楽器の音が聴こえてきます。
 ジャポネスクの元の意味は"日本風"ですが、あくまでも外国人の目に映る"日本風"と捉えるのが妥当でしょう。ここで、日本人が"ジャポネスク"を演じると、私の目には"無国籍"に映ります。西洋文化の源である聖書からアイディアを得た物語を、そこまで聖書が浸透していない日本で上演するにあたって、具象度の高い要素を取っ払い、日本にも通じる部分を引き出して、抽象度の高い本質を明らかにしようとした、ということでしょうか。そう考えると、エルサレム・バージョンの方がわかりやすかったですが、こちらの方が刺激的に感じます。

 キャストはエルサレム・バージョンの時と、ほぼ同じでした。ジーザス(芝清道)、ユダ(金森勝)、マリア(高木美果)とメインの3人は共通。
ヘロデ王は下村尊則に替わっていました。俥から降りたヘロデ王はグリザベラみたいにも見えました。
 前回、ちょっと物足りなく思ったマリアは、今回もきれいに歌っているとは思いますが、もっと違うものが観たいというのが正直な感想です。前半の"Everything is All Right"や"I Don't Know How to Love Him"が地声で歌われていたら、どうだったか。ユダはエルサレムでは流砂に飲み込まれていきましたが、今回は大物浦の知盛のように崖の向こうへ堕ちていきました。そして、"Superstar"は上から下りてくるゴンドラに乗っての歌。ずっとゴンドラの上なので、動きが限定されてしまうのが残念でした。

 印象的だったのはラストシーンです。エルサレム・バージョンではマグダラのマリアが現れたのですが、今度はジーザスひとりきりでした。どういう意図があるのか、どういう意味なのか、まだ考えています。だれも来ない方が、ジーザスには過酷で、マリアにとっても厳しいもののように思います。










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