音楽劇「わが町」@俳優座劇場

 電車は動いていましたが、いつも通り自転車で行きました。交通量は少なめなのですが、時々クルマの長い列。何だろうと思ったらガソリンスタンドに並んでいたのでした。前日は気がつかなかったので、たぶん震災2日目のこの日から本格化したのでしょう。帰りには24時間営業の看板を出しているスタンドが「売切れのため閉店」になっていました。

 この公演は地震のあった金曜日に観る予定でした。日曜が千秋楽でしたが、土曜日には公演があったと聞いて、振替が可能かどうか問い合わせをしたら、全日程売切れだったはずなのですが、おそらく来られないという連絡がいくつかあったのでしょう、観られることになりました。
 ソーントン・ワイルダーの「わが町」は何度か観たことがあります。活字で読んだこともあります。観損ねましたが新国立劇場でも上演されたばかりの、上演頻度の高い作品です。が、この公演は"音楽劇"と銘打たれています。出演者の筆頭に土居裕子の名前があります。

 この公演でも、開演前に製作者からのあいさつがありました。被災地への思い、こういう状況での演劇の役割、安全と採算。公演をやめることも決行することも間違っているわけではない。そして、どちらを選んでも何らかの痛みがあるでしょう。観に行くという選択など気楽なものです。

 さて、音楽劇。音楽劇とミュージカルとの違いはたいてい曖昧ですが、今回もそうでした。もともとはストレートプレイなのを音楽劇にするために、セリフが歌詞に書きかえられているところがあります。こういうのはミュージカル化の手順です。しかし、歌のほとんどは女性キャスト。歌での表現力の違いが歴然としています。物語を主導していくのは女性たちなので、それはそれでいいのですが、ミュージカル的な男女のデュエットという感じはしません。
 しかし、土居裕子がエミリー(十代の娘)とは当日プログラムを読むまで知りませんでした。実年齢からすると、母親役が妥当なくらいで、もしもそうしていたら隣り合わせた二軒の母親たち視点の物語に見えたでしょう。それはそれで興味深いものになったかもしれません。実際、母親ウェブ夫人役の花山佳子の方が年下のようです。とはいえ、ミスキャストだったわけではありません。正月に観た「サウンド・オブ・ミュージック」のマリアも二十歳そこそこの役が見事でしたが、今度もごく自然に見えました。
 「わが町」という芝居には進行係という役があって、セットや小道具をほとんど使わない代わりに、進行係が状況の説明をしたり、いろいろな人物を演じたりします。どういう位置づけにするかは演出の解釈次第です。ポール・ニューマンが最後にブロードウェイの舞台に立ったのが「わが町」の進行係役で、この舞台中継を観たことがあるのですが、この時の進行係は、すべてを知っている神のようでした。今回の進行係(原康義)は、出てきた時に誰かに似ていると思ったのですが、途中から池上彰氏に見えてきました。つまり、すべてを知っていて、それをわかりやすく解説する存在です。ある小さな町に住む人たちの、何ということのない平和な日常。それがとても幸せであることを、池上彰氏に解説されているようでした。

 主人公エミリーは、その幸せに埋葬された後で気づきます。当たり前だと思っていたことが、実はかけがえのないものだった。何でもない平凡な日に思えても、同じ日は一度もなく、どの一日も二度と戻っては来ない。「方丈記」のような無常観ですが、それは決して悲しいことではなく、気づきにくいことかもしれないけれども、この世界に生まれ、一瞬一瞬を生きていることが幸せなのだとうたっているようです。

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