「黄昏」@紀伊國屋ホール

 時間を読み違えて5分くらい遅れてしまいました。後ろの方で通路に近い席、しかも私よりも通路よりの席は空いていた(後からみえました)のは幸いでした。

 「黄昏」というタイトルの作品はいくつかありそうですが、これはヘンリー・フォンダとジェーン・フォンダが共演した映画のもとになった舞台劇です。1979年にブロードウェイ初演。2月から6月までの短期公演でしたが、評判がよかったのでしょう、その年の9月から翌年の4月までreturn engagement公演(日本でいう凱旋公演のようなものでしょうか。ただし、大きな賞の受賞はありません)。日本でも過去に何度か上演されています。
 私は映画版と、2005年のブロードウェイのリバイバル版を観たことがあります。主役の老教授はジェームズ・アール・ジョーンズ。舞台でも映像でも活躍する名優ですが、いちばんわかりやすいのはダース・ベーダーの声でしょう。映画では気難しい教授と、ゴールデン・ポンドにボートを出して釣りをする情景の美しさが印象的でしたが、舞台は山荘の中だけで展開されます。そして、老教授は気難しい人ではあるのですが、どこかユーモラスなところがあって、序盤から客席で笑いが起こる、舞台の上でもよく笑っていたのを覚えています。

 舞台はゴールデン・ポンド(黄金の池)という湖に近い、メイン州の山荘です。夏を過ごすために老教授ノーマン(津嘉山正種)と妻エセル(岩倉高子)が到着したところです。家具にかぶせてあった布を外したり、少し物を動かしたりする必要があるのですが、すべての作業はエセルに任されていて、ノーマンは何にも触りません。ただウロウロして、勝手な注文をつけたりしています。
 二人は毎年、夏をここで過ごしていて、今年が50回めの夏です。ノーマンは滞在中に80歳の誕生日を迎えます。エセルの年齢は明言されませんが、ギリギリ60代ということです。この山荘はエセルが両親から受け継いだもので、彼女には子どもの頃からここで過ごした思い出があります。郵便や新聞を届けに来るチャーリー(田中耕二)は彼が子どもの頃からの顔なじみ。近所の山荘に来る90歳を過ぎたレズビアン・カップルのひとりが亡くなったことなどが伝えられます。
 老いや死を意識しているノーマンは本気なのか韜晦なのか、今年で最後だなどと言っています。気難しいというより、素直に自分の思いを口に出せない人なのでしょう。ただし、彼をよく知っていて、付き合い方がわからないと、いささか不愉快になるかもしれません。数少ない理解者である妻エセルは、ノーマンが老いや死を冗談にするたびにたしなめますが、ノーマンの物忘れがひどくなっていることなど彼が衰えてきていること、自分自身の老いについての思いが頭のどこかにあります。
 2人にはチェルシー(那須佐代子)という娘がいます。ノーマンは彼女の年齢が40歳を過ぎていることに驚いています。あまり考えたことがなかったのでしょう。チェルシーは父親を名前で呼ぶなど父娘の仲はギクシャクしていますが、彼女もノーマンの80歳の誕生日を祝うためにここへ来ることになっています。

 チェルシーはボーイフレンドのビル(横堀悦夫)とその息子で13歳のビリー(薄衣峻平)と一緒にやってきます。ノーマンはおそらくいつもの調子でビルに対します。チェルシーから話には聞いていたであろうビルは、それでもかなり戸惑います。悪い人ではないことはわかりますが、何ともつきあいづらい。ビリーの方は天衣無縫というか傍若無人というか、ノーマンを自分と同等の人間として対します。エセルの提案で、夏の間、ビリーを老夫婦が預かり、チェルシーとビルを二人でヨーロッパ旅行へ送り出すことになります。ここで休憩。

 2幕が始まるとノーマンとビリーはすっかり仲良しになっています。ビリーが使っている流行語をノーマンが真似る。(いまどき「バッチグー」という訳はどうかと思うが)読書の習慣がなかったビリーに、ノーマンが本を読むおもしろさを教える。毎朝、日が出る前にゴールデン・ポンドへ釣りに出かける。シニカルなジョークばかりだったノーマンが明るく笑うようになります。ノーマンが本来もっていた楽しいユーモアのセンスを、遠慮のないビリーが引き出したようです。
 やがて、チェルシーが帰ってきます。旅行中にビルと結婚。ビルは前妻からビリーを引き取る手続きのために、別行動しています。エセルは素直なお祝いを言いますが、ノーマンにも祝う気持はあるのですが、照れ隠しにヨーロッパでの結婚手続きがアメリカでも有効なのかなど、余計なことを言ってまた父娘はぶつかってしまいます。
 和解の段取りは、まずエセルとチェルシー。表面は仲の良い母娘でしたが、チェルシーはノーマンと衝突した時に、何もしてくれなかったと母親に不満を持っていました。それをぶつけた後に、エセルからノーマンは難しい人だけれども、決して愛情のない人ではないと諭され、チェルシーはノーマンと正面から対峙し、ついに"父さん"と呼びます。
 最後は老夫婦2人が山荘を出発するところです。今度はノーマンは手伝おうとしますが、何かを運んでもエセルの手間を増やすばかりです。そして、重い箱を運ぼうとして、心臓の発作を起こしてしまいます。ニトログリセリンが効いて、発作は治まりますが、死を直視するような発作は、これが初めてだったのではないかと思います。自分の死を韜晦するのはやめたノーマンが「来年もまた来よう」と言って、山荘を出ていくところで幕となります。娘との和解に続いて、自分自身とも和解ができたということでしょうか。

 いろいろな要素がありますが、父と娘との和解がいちばん胸に迫ってきました。ここでは父と娘ですが、父と息子でも同じことでしょう。父親の期待。それに応えようとする子。それができないとわかった時。父親の心情を勝手に斟酌して、反発という形で表してしまう。時が経つほどに修復が難しくなる。父親は自分が圧力になっていることに気づいていません。気づいていても自分から歩み寄れるとは限りません。父は老いて死期も迫っています。時間は限られています。直接ぶつかりあう関係でなくても、父と子の関係というのは、そういう要素を含んでいるように思います。
 ノーマンとビリーとが親密になるのは、擬似的に祖父と孫の関係だったからでしょう。遠慮のないビリーはノーマンの心をを若返らせ、父と子の関係を修復させる触媒の役割を果たします。

 作者アーネスト・トンプソンが、この作品を書いたのは28歳の時ということです。平均的な親子の年齢差ならば、まだ父親の老いや死と直面するには早そうです。どういう生まれ育ちなのかはわかりませんが、ビリーの立場にいた人生経験が、この作品を生んだのではないかと思います。

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